写真整理をしていて出てきたら見覚えのない古びたアルバム。記憶を辿りながらアルバムを開いてみると、その中には2002年のバンコクが。
あの旅の写真をデータ化したのは覚えていてけど、プリントした写真は完全に記憶から消えていました。
あまりの懐かしさに当時を振り返ってみたいと思います。
2002年3ヵ月のアジア放浪
2002年初めての一人旅は、バックパッカーの基本通りバンコクに入りカオサンを目指しました。
当時はカオサンロードの存在すら知らず、周囲の旅経験者にタイに行くことを告げると、「とりあえずカオサンに行け」といわれ、言われるがままカオサンへ向かいます。
今と比べると簡素に感じるトゥクトゥク。これは多分カオサンに宿をとって、観光途中に乗ったはず。
ミラーに映る僕。この時着ているベースボールTが懐かしい。NIKON FM10と富士のフィルムを20本ほど持って行ったことを記憶している。
民主記念塔。バスは今のエアコンなしとあまり変わらない。乗用車に年代を感じます。
タナオ通り
カオサンロードから東側へ抜けると(ツーリストポリスとは逆)、タナオ通りにぶつかる。
このタナオ通りを少し入った小径にはたくさんの安宿がある。
カオサンからタナオ通りを渡って、小径に入ったところだと思う。
タナオ通りを渡ったところ。周囲にはセントラル、ナット2、ニューCHなど、日本人が多いゲストハウスがあるため、日本語メニューの屋台が並んでいた。
カオサンロード
多分、カオサンだと思うけど、全く記憶にない。
ツーリストポリス側から少し入った辺りのカオサンロード。
まだカオサンに爆音が鳴ることもなく、歩道に座って酒を飲んだりできていた。
今と比べると、着ている服が割とまともなことに驚く。いつからマッチョとセクシーを競い合うようになったのか。
「地雷を踏んだらサヨウナラ」。この映画を観て、東南アジアに来たと行っていた人が多かったように思う。
「GET ABOUT TOUR」。覚えていないけど、カオサンにあった日本語が通じるツアー会社だろうか。
当時のカオサンは古本屋が多かった。地球の歩き方や小説を買っては売ってを繰り返すのが、当時のやり方だった。
古本売りのラオス人。これ見よがしな日本語Tシャツが懐かしい。
彼とはディスコにも一緒に行ったし、トムヤムクンのぶっかけ飯は彼から教わった食べ方。
ランブトリ通り
カオサンロードから脇道を入ると抜けられるランブトリ通り。10年ぐらい前までは屋台街もあり、カオサンの喧噪から逃れて、安く長く飲むのに最適な場所だった。
これはランブトリ通りの入り口辺りのような気がする。この大きな焼き鳥が10バーツだったことは覚えている。
そして「10バーツ高けーな」と思った貧乏パッカーでもあった。
これもランブトリっぽいが記憶がない。フルーツは10バーツだった。
チャトチャック(ウイークエンドマーケット)
どうやって行ったのか記憶がないけど、チャトチャックだろうか。当時チャトチャックの存在なんて知らなかったはずだけど、なんで行ったんだろうか?
大音量のディスコミュージック。各店舗のマイクパフォーマンス合戦。すごいうるさいし、エネルギーがあるなと感じたことだけ記憶に残っている。
PCゲストハウス
日本人の溜まり場だったPCゲストハウス。木造で寮みたいな建物だった。
1泊シングルで40バーツ。セントラルとこのゲストハウスが、シングル最安値と聞いて泊まっていた。
中抜けで解放感はあった。
24歳の僕。1か国目にしてなぜこんなに髪の毛が伸びているのか分からない。
若い時の毛量にただ驚かされる。
写真を整理してい出てきたアルバム。ネガは全て日本で現像したはずなのに、なぜ1本だけカオサンでフィルムを現像したのがなぜだか思い出せない。ネガは出てこなかった。